孤独の帰結としての右翼

この手の調査がやっと出てきてくれたという印象。実証調査とは、企画立案から実査、報告書が出るまで一定の時間がかかるものであるわけで、予算を取ってきたり、雑多な書類を書いたり、そうした苦労を自ら買って出て、それを公表してくださる研究者の方々にまず感謝。

インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究 調査結果概要報告書

まだ斜め読みなので細かいことは言えないけれど、ざっと見る限り、ネット右翼層が少なすぎて彼らの特徴について分析できないというあたりの苦労が忍ばれるなあという感じ。ただ、「2ちゃんねるネット右翼との関連」「マスメディア不信とネット右翼的な層との関連」が見られる、「ネット右翼的な層に、年齢、学歴や年収でとりたてた特徴は見られない」というだけでも、十分な成果だろう。いわゆる「ネット=右傾化=若者」の三位一体論は、この調査においては仮説として不適当であるという結果が出たと言っていい。

個人的に一番気になったのは以下の指摘。

文化的/政治的NP因子と愛国心因子は、興味深い相関傾向を示している。それらの因子スコアが高いほど、靖国公式参拝憲法改正国旗掲揚・国歌斉唱、愛国心教育に対してやはり賛成的であるのだが、一方で、韓国や中国への親近感もより高い傾向にある。パトリオティックな意識は必ずしも「嫌韓嫌中」に結びつくものではないということだ。このことからすれば、「ネット右翼」についても対外的な問題(「嫌韓嫌中」)にかかわるそれと、国内的な問題(憲法改正など)にかかわるそれでは、政治的態度・社会心理などの背景要因を区別して考える必要があるように思われる。

文化的/政治的ナショナル・プライド因子や愛国心因子など、パトリオティックな志向が高いほど、韓国や中国への親近感はむしろ高い――「愛国」は「嫌韓嫌中」に結びつかない――というのが一般的傾向であった。これに反して、「愛国」と「嫌韓嫌中」が一体化しているのが「ネット右翼である。

韓国・中国への親近感は、孤独感とは負の相関、一般的信頼とは正の相関を示している。つまり、身近な人間関係のなかで孤独を感じており、見知らぬ他者を信頼しない者ほど、韓国・中国に対して排外的な態度をとる傾向にあるということだ。表中には載せていないが、韓国・中国への親近感の低い者ほど、親しくつきあっている近所の人の数が少ない(性別・年齢・学歴でコントロールした偏相関係数で、韓r’=-.09、中r’=-.11、いずれも0.1%水準で有意)。友人数とは無相関だが、「友達であっても、プライベートなことには深入りしたくない」という傾向も強い(韓r’=-.09、中r’=-.08、それぞれ1%, 5%水準で有意)。嫌韓嫌中の背後にあるのは、イデオロギー的なものよりも、身近な人間関係における孤独感であるのかもしれない。

(以上、強調引用者)

ネット右翼が「右傾化」と切り離された現象であるとしても、それはイデオロギーとしての「右傾化」が焦点化されていればこそ重要になっていた課題なのであって、上記のような傾向が認められたからといって、彼らが「政治的」でない、ということはありえない。むしろ個人生活の孤独感から拠り所を求めて政治やリアルの運動へと接続されているのであれば、それは古典的な意味で「政治」そのものの姿であると――たぶん佐伯啓思あたりなら言うだろう。この結果は、右翼と言うより保守主義の側にとって都合がいいものである。あるいは右派コミュニタリアンなんかも「コミュニティ、地域の絆を再興」とか言うかもしれない。「やっぱネトウヨなんて藁人形じゃーん」で話が終わるわけではないだろう。