大学院重点化と人材の定義

これねえ、倍率は実際問題じゃないのよ。それって教員に対する指導報酬が確保できるかどうかの問題でしかないから。

文部科学省によると、全国の博士課程の入学定員に対する志願者の平均競争倍率は、3年度に開始した「大学院重点化」計画以降、上昇を続け、8年度には1.08倍を記録。15年度まで1倍を超えていたが、その後、漸減を続け、18年度には0.9倍まで低下。そして19年度は計2万3417人の入学総定員に対し、志願者は2万773人で競争倍率は0.89倍に落ち込み、5年度以降初めて0.9倍を割り込んだ。

ちなみによくロストジェネレーション問題で、高学歴ニートも同じ扱いにされることが多いのだけど、話としてはまったく別。確かに就職がないから緊急避難的に院進学した手合いはいたし、それが大学院重点化と重なってしまったために、無駄に院生を抱え込むことになったのは事実だけれど、別に彼らは騙されて進学したわけじゃない。少なくとも、他に道がなくて不安定でも低賃金でもいいからとフリーターになった人と、進学して修了したのだから働き口を確保してくれないと困る!と訴える人は、同じ立場ではない。

指摘されるべきは文科省と企業と大学の責任で、要するにこの間、大学院を出ていても単にコストが高いだけで新率と技能は同じとしか見なされないような雇用環境が変わらなかったことが最大の問題。文科省はそこまで財界にアピールすることと引き替えで大学院重点化を進めるはず(べき)だったし、企業の側も、確保すべき優秀な人材像として、専門スキルを持った人を使う体制を組めなかった。何より大学院教育において、従来型の研究者育成プログラムの中での善し悪しの物差ししかもてなかった教員は、就職指導をまったくやろうとしなかった。

定員割れと聞いて、文科省ざまぁと思う向きもあるのだろうが、私は逆に危ないと思う。それは、専門的な指導を行えば優秀な技能を発揮できたかもしれない人間が、目先の安定を志向して大学院進学を諦めたということを意味するからだ。そうした人々は、既存の企業の環境の中で、人並みのことをしていればいいという形で飼い殺しにされる。

もうひとつ、大学院重点化の中で押さえておくべきポイントに、海外からの留学生の問題がある。進学を隠れ蓑に出稼ぎに来る人間が多いのはどこでも同じなのだが*1、本来なら優秀な留学生というのは、日本企業で働くための予備段階として位置づけられるべきものだ。教育コストを一部日本で負担することで、海外の人材を日本の中に囲い込むというわけだ。だが、アウトプットが確保されていない中での留学生受け入れは、育成コストだけを負担し、本国や他の国にせっせと人材を流出させることになる。

教育とは労働者を作るためのシステムである、という当たり前の認識が持てなければ、この状況は変わらないだろう。心が豊かになったくらいで、人は飯を食えないのだ。

*1:ロンドンでも電話ボックスの中に、日本人留学生が売春相手を求める張り紙をしていたりした。