「大きな物語の失効」が失わせたものとは

少しだけ気になったので考えてみる。

大きな物語が失われたために人々は生きる意味を見出しにくくなってしまった」というストーリーにはもっと率直な疑問を感じる。つまり、「大きな物語のおかげで生きる意味が保証されていた」という状況がそもそもうまくぼくにはイメージできないのだ。たとえば、「大きな物語」として「冷戦構造」が挙げられることがある。そのとき「資本主義vs共産主義」のような大きな対立構造が各種の思想や制度を布置づけていた、という話を否定しようとは思わない。しかし、市井のある人物が「冷戦構造のおかげで生きる意味がみつかりました!」と述べているような状況は、ぼくにはまったく想像することができないのだ。

もちろん、政治的な人間であればその種の運動に「アンガージュマン」することで「生きる意味」を 見出すことができたかもしれない。しかし、それは、一部の人間にとってだけのことだったのではないのか?そして、それ以上に、一時の昂揚のためだけのものだったのではないか?人生という長い長い時間を過ごすうえではたして「冷戦構造」はどの程度「生きる意味」を備給しえたのか?「冷戦構造」のかわりに「高度経済成長」などをもってきても同じことだ。会社人間として、がんばれば明日はもっと豊かになれると信じていることができた?はたして人はその程度のことでたやすく「生きる意味」を確立しうるほど浅はかな存在であったか?

そうしたわけで、「大きな物語が人々に生きる意味を備給していた」というストーリーにはにわかに賛同しがたいものを感じてしまう。

まずどうでもいい突っ込みをすると、「備給」は原語ではcathexis(充当)といってフロイト心理学の用語だ。これは「ある対象に向けてリビドーを向ける」という意味で「供給」とはまったく意味の異なる用語なのでご注意。「カセクシス的」という用法ならタルコット・パーソンズなんかも多用しているので、聞いたことがある人もいるかもしれないけれど。

さて、「大きな物語」論だ。いわゆるポストモダン論や現代社会論で何度も登場する「現代は大きな物語が失効した時代である」という物言いに対して「大きな物語が機能していた時代なんてあるのか?」という問いが投げかけられることがある。「モダンからポストモダンへの変化」は、その論者が脳内で設定した出来事に過ぎず、実際には人々の生活実感や感覚は、なにも変化していないはずだというわけだ。

そうした主張はしごくまっとうだし、そういう風に言われる理由も分かる。まず、歴史的な価値観の変動なるものが実際に存在したとして、それはイチがゼロになる一回限りの変化に直面した人にとってしか意味を持たないということ。言い換えれば、既に変化の「後」を所与の前提として生きている人にとっては、「大きな物語」があったということすら認識のしようがない。この点はけっこう大事なのであとでもう一回触れる。

もうひとつは、日本に固有の事情だが、ポストモダン論が80年代のニューアカのブームの際、消費社会的なマーケティング言説と一体になって輸入されたことに原因がある。この頃のマーケティングは、大量生産・大量消費型の耐久財需要が一巡した結果、多品種少量生産体制における商品の高付加価値化という課題を持っていた。そうした状況に、「大きな物語の失効」論は有効なバックボーンを提供した。つまり、「みんなが同じ商品を買う時代は終わり、これからは各人が小さな物語に従って、めいめいの好きなモノを買うべきだ」というわけだ。おそらく宇野が参照点にしている東の『動物化するポストモダン』においても(かなりアンビバレンスをはらみつつ)、「大きな物語を失効させる消費社会」というフレームは維持されていたはずだ。この辺の事情が忘れられたままコピペのように繰り返される「大きな物語が失われた現在」という疑似ポストモダン論は、そのコピペに馴染みのない人間にはまったく意味が分からないだろう。

しかしながら、そうした日本的な事情を離れると、「大きな物語の失効」論は、それなりにインパクトのある主張だった。なぜなら、その主張の原点ともなったジャン=フランソワ・リオタールが主張したように、そこで失効したものとは「進歩」や「発展」といった左翼的価値観だったからだ。人類という種は、最高度の発展段階にむけて進歩する生き物であるという前提があればこそ、左翼は現状を否定し、とうてい実現するとは思われないユートピア(労働のない社会とか、差別のない社会とか)へ向けて人々を邁進させるための根拠を導出し得た。だが1968年を頂点とする世界的な学生反乱の盛り上がりによって、こうした「現在を否定し、いま存在しない未来に向けて大衆を指導する」タイプの古い左翼は徹底的に批判されることになる。西欧におけるポストモダン論とはそうした事情を反映した議論だった。要するに「大きな物語の失効」とは「左翼の失効」という意味だったのだ。

だから、ポストモダン論に直面して困ったのは左翼だけで、多くの人には関係のないお話だった、というのはある面で正しい。変化の「後」すなわち未来に向けられた左翼的価値を生きていない人にとっては、大きな物語の存在など認識できないとはそういうことだ。

だが厄介なことに、ポストモダン論を展開したのもまた左翼だったというあたりから、話がややこしくなってくる。この「新しい」左翼は、旧来の「未来に向けて前衛が大衆を指導する」図式を否定する代わりに、左翼が軽視してきた価値観、たとえばサブカルチャーや忘れられた伝統文化のような「ローカルな価値=小さな物語」に基づく社会運動を肯定した。それぞれが好ましいと思う社会作りに向けて、それぞれが頑張ってくださいね、というわけだ。だからポストモダニズムの一部は、特に文化の面で強い相対主義を唱える。カルチュラル・スタディーズにまで繋がる「光を当てられていない文化的価値に政治的意味を見いだす」という振る舞いは、そのようなバックグラウンドから生じている。

ポイントは、この新しい左翼が、「人類がみんなで目指すべき未来像」を否定しつつも、社会をよりよい方向に向けて変化させていこうと考える点では、昔の左翼と変わらなかったということだ。だがポストモダニズムの主張を徹底すれば、なにが「よい方向」なのかということすら自明ではない。それぞれの思う「よい社会」に向けて勝手に頑張れというのなら、歴史修正主義的な主張に基づいて社会改革を行おうとする人々も肯定しなければならないはずだ。こうしたジレンマに陥ったポストモダン左翼たちは、仲正昌樹言うところの「ポストモダン左旋回」を経て、かつての左翼と似たような主張を始めることになる。

昨今、80年代からのポストモダニズムを単なる相対主義と見なし、何の実践も行わない現状肯定の思想だと批判する声が上がるのも、そうした事情が反映されている。左旋回した後の時代からすれば、必要なのは相対主義ではなく実効的なプログラムだというわけだ。往々にして、そう批判している連中もまた自分では何もしない口だけの輩であることを除けば、その批判には意味があるだろう。宇野の「セカイ系から決断主義」という図式も、かなり甘く見てあげればそういう時流に乗っていると評価できなくもない。ちなみにポストモダニズムの流れにある論者の中でもより慎重な手合いは、その辺までを前提にした状態で「決断主義が招く恣意的な"大きな物語"の復活」を危惧しているので、もはや相対主義とは無縁だと見るべきだろう。

にもかかわらず私がまずいなと思うのは、日本におけるポストモダニズムなりポストモダン左翼の主張なりといったものは、80年代からの言説の影響で、どうしても消費社会の現状を肯定するというものになりがちだということだ。言い換えればオタクでもストリートダンスでもレイブでも何でもいいが、そこに「政治的な実践」を伴う「旧来の価値からの相対化」という振る舞いが見出せれば、学術的にも政治的にも意味があるというお墨付きを与える形で機能したカルスタは、多くの大学学部生にとって「ボクの好きなもので卒論が書ける機会」を提供するツールになった。消費社会と結合した「大きな物語の失効」論は、右翼-左翼といった話と無関係に、小さな現状を肯定する議論になってしまう。

本当なら、ポストモダニストたちがこの辺の事情をかみ砕いてあげるべきなのだろう。だがあまり勉強していない人たちにまで「大きな物語が失効した現代」というテンプレがコピペされることで、相対主義に基づく現状肯定から、ポストモダニズムの左翼性を切り離すことは非常に困難になっている。「大きな物語」への批判が内包していた、旧来の左翼のもたらすグロテスクな帰結――社会主義でもナチズムの合理主義でもなんでもいいが――を積極的に開示しながらでなければ、いまやポストモダンの主張は通らないのではないか。もちろん、そんなめんどくさいことを考えるくらいなら実践!実践!というのもまた、正しい道であるはずなのだけれど。