BIとクーポンと新自由主義
ヴェルナーの『ベーシック・インカム』は買ったまま読んでないので、あまり言及できない問題なのだけど。
BIは貧しい人々に今までの自分の「正しくない行い」を悔い改めさせると同様に、社会が彼らを搾取する免罪符にもなるのです。そのような欺瞞に加担するのはもうやめるべきではないでしょうか。何もBIで無くても、生活保護の拡充と基準の緩和、教育・医療の無償化、最低賃金の設定や雇用保険の充実など、現実的に出来る社会福祉はたくさんあるわけです。
BIってのは無償のバラマキではなくて、たとえば教育におけるBIとも言えるバウチャー制度なんかは、ハイエクによって「選択の自由を高める」ための手段として提案されたものだったはず。赤林英夫氏なんかは、日本のような初等教育における受験機会の多い環境では、バウチャーの導入の仕方によっては、それが「富裕層への補助金」になることを指摘していた(『中央公論』07年2月号)。
で、引用部分はいわゆる「ネオリベラリズムの主体化論」という奴で、渋谷望『魂の労働』の前半というのが、この「新自由主義は新自由主義にコミットする主体たれという命令に背く自由がない」ことを指摘していた。で、渋谷の処方箋がヒップホップの共同体みたいな話だったのだけど、それに対して橋本努が言うのが、「そういう抵抗の共同体こそ新自由主義の補完物になるでしょ」という。
私なんかはむしろBIよりBI的理念の中に織り込まれるこの「主体化」の問題に興味がある。ネオリベ的主体になることは、確かに伝統的な文化や生活様式を破壊するかもしれない。しかし、そのことの是非を誰に論じる資格があるのか。新自由主義の主体化論が巧妙なのは、「伝統が失われることを痛みだと思うかどうか、それもその人の自由です」としか言わないことだ。それに抵抗することは、往々にして「自己決定」に対する他者の介入(あなたは伝統文化を守るべきで、だから資本主義に毒されて豊かになってはいけません*1)を引き起こしてしまう。ま、伝統文化はすべて世界遺産認定して、資本主義に毒されない生活をずっと送れるように世界中の文化的な人々の収入からまかなわれる補助金をばらまくっていう手はあるのかもしれないけど。この辺、アーミッシュっていまどうなってるのかなと思った。
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※追記:TBにもあるのだが、私自身も社民的BIの可能性については検討した方がいいと思っていて、いろいろ調べてはいるのだけれど、ちょっとまだ具体的に語れる状況にはないなという感じ。というか調べるほど危険な点が見えてくる。このエントリは、その辺を何とか回避しようと思って考えていることをちょっとだけ書いてみたという。ただ、これ以上コストと時間をかけて調べたものをタダでブログで垂れ流しても、連合赤軍レベルの内面的姿勢を問われるゲームに巻き込まれるとすると非生産的すぎるので、この問題については暫く沈黙します。
*1:実際、欧米の活動家でたまにこういうのがホントにいるから驚く。