科学の行き着く先

ある本を読んでいて思ったのだが、近年の社会科学における「科学的な精緻化」のベクトルは、どうも次のようなものになっているらしい。すなわち、社会学政治学に近づき、政治学(および法学と法哲学)が経済学に近づき、経済学が心理学に近づき、心理学が脳科学統計学に近づいている。そこには「理論の希薄化」という現象が付随する。脳科学においても、社会心理学的アプローチにおいても、実証の前に必要とされるモデルへの検討が必要となるが、そこでは往々にして素朴な人間学が前提とされる。「人って一般的にそういうものだよね」という理解を元に構築されたモデルの実証プロセスは、結局のところ分化されたシステム間の目に見えない連関を明らかにするのには役に立つが、全体ないし個別のシステムの変動要因を「偶然」とか「結果論」でしか説明できなくするのではないかという気になる。

現代のアナーキズム思想(英米圏中心) - on the ground

リンク先でも紹介されているアナーキズムの現代的潮流が、理論と切れたところで実践を要求するようになっているのも、おそらくは環境悪化や市場によって疎外される「人間的なもの」への無邪気な信頼と、それへの回復の要求の現れなのだろう。20世紀前半の政治学社会心理学、哲学が強調してきた「人間性への疑義」は、そこでは顧みられないどころか、実践への足枷として非難される。例外状態とはおそらく、非日常の日常化というだけでなく、そうした状況に対するメタ言及の封鎖を意味している。