カプセル家族の果てに

そんな状態でなぜブログが更新できるのかといえば、自分の部屋の掃除を済ませたからだ。かつて大掃除が持っていた「家族みんなで共同作業」という機能は、我が家では見事に失われており、自分の受け持ちさえ済めばあとは自由、という状態になっている。

asahi.com:元旦「おせちなし」2割 家族バラバラも 首都圏調査 - 暮らし

ライフスタイルの多様化、といってしまえばその通りなのだろう。ただ、それでも8割の家庭がおせちを食べているというのは興味深い。その「おせち」というのは、中華風とかフレンチとか、ああいう類のものも含んでいるのだろうか。もちろん、おせちなんて宮中行事を真似て、というか節句にかこつけてご馳走を食べようという発想で始まった、比較的新しい町人文化なのだし、黒豆だの数の子だのが必須というわけでもなかろう。

 「クロワッサンと残り物のおでん」「雑煮、マカロニサラダ、ししゃも」など、献立に一貫性がないのも特徴だ。ある4人家族は、銘々盆に「雑煮とお茶」「磯辺巻き、雑煮、お茶、コーヒー」「肉まん、パン、ヨーグルト、牛乳」をバラバラに配膳(はいぜん)していた。

気になるのはむしろ、「献立」という概念の希薄化だろうか。献立とは、毎日同じ食材を使って違うものを食べるための知恵であり、その点が「メニュー」の中から完成品を注文する外食と一番異なる食への態度だ。これは栄養のバランスとか食文化とか、そういう高尚な話とは関係ない。強いて言えば、無駄を省き、資源を節約するための「手抜き」のテクニックである。これができないと、一人暮らしを始めたときにエンゲル係数が上がってえらく苦労することになるのだよ、と諭してあげるのが一番良いのではないか。